むし歯は「感染症」ではない
―砂糖と帝国主義の副産物―
「どうすれば歯を守れるか」──この問いに対して、歯磨きの重要性や砂糖の摂取制限など、常識的な答えはすでに語り尽くされている。だが本質的な問いは別にある。なぜ、むし歯という病気が人類の歴史において、これほど短期間で蔓延したのか。実はそこには、医学ではなく経済史、もっと言えば帝国主義と資本主義のダークサイドが深く関わっているのだ。
歯科医学の成立は、医療史全体の中でも比較的新しい。ピエール・フォシャールが18世紀に「歯科医術」を外科の一分野として体系化した頃、歯科治療は大道芸人が歯を引き抜く程度の民間療法に過ぎなかった。ところが、ある日突然、虫歯が王侯貴族、富裕層などの上流階級を中心に蔓延し始める。彼らがこぞって歯の痛みや黒くなって欠け始めた歯に苦しむようになると、彼らの「社交の場」にふさわしい美しい歯を求めて、貧乏人から買った歯を再植するという荒技まで登場した。
この不可解な現象の原因は明白だ。「砂糖の登場」である。
サトウキビはもともと東南アジア原産の作物であり、インドからイスラム世界を経てヨーロッパに伝わったが、本格的に「商品」として流通するようになったのは、大航海時代以降のことだ。コロンブスが「新世界」を発見し、西インド諸島にプランテーションが建設され、アフリカから奴隷が大量に連れてこられる。この「労働力」によって、砂糖は一気に大量生産が可能になり、富裕層の嗜好品から庶民の必需品へとコモディティ化していく。
結果として、19世紀のイギリスではアフタヌーンティーが大流行し、フランスではマロングラッセや砂糖漬けの菓子が氾濫する。むし歯の大流行は、まさにこの時代に同期している。つまり、むし歯とは糖質過剰社会が生んだ「文明病」なのだ。
ここで興味深いのは、むし歯がかつて「贅沢病」だったという事実だ。近代以前のむし歯は、王侯貴族が罹る病であり、下層階級にはほとんど見られなかった。これは一般的な感染症とは真逆のパターンである。むし歯が「感染症」として扱われることがあるが、それは本質を見誤っている。むし歯は、むしろ経済と階級が生んだ文明病であり、砂糖という嗜好品が社会に深く浸透する過程で発生した「人災」なのだ。この面からも「細菌感染症」という見方は間違っている。
歯の健康を守る最も合理的な手段は、技術でも薬でもなく、自己管理である。つまり歯磨きだ。それも、むし歯ができてからから行うのでは遅いのだ。
砂糖が人類にもたらした快楽の代償は、かつて「白いダイヤ」と呼ばれたこの甘味料に群がった権力と搾取の歴史でもある。歯の溝や間にむし歯を見つけたとき、それを単にカリエスという病気の兆として医療の面から見るだけではなく、「帝国主義の亡霊」かもしれないと歴史を振り返えるのも悪くはない。
